気分なんてものはとらえ方次第で180度変わる

半分の水が入っているコップを見たときに人によっては「半分しか入っていない」と感じる人もいれば
「半分も入っている」と感じる人がいるように、不運や幸運もそれに遭遇した人や状況によって解釈がまったく異なる場合がある。

雨の日あるある

雨の日でありがちなのが店の傘立てなんかにカサを置いておくとほかの人が持って行ってしまうなんてことが起こりがちだが、自分もそんな状況に遭遇した。

店の外の傘立てにビニール傘を差しておいた。帰り際に傘立てを見ると自分の傘がなかった。
目を離したのはほんの数分でほかに客がいなかったので、だいたい誰が盗ったのかは目星がついている(目星がついているからといってもはや追及できるわけではないが…)
もちろんほかの傘とは離したところにかけておいたので取り違えるということもまずあり得ないので、おそらく故意にとったのだろう。

そんなこともあって、その日の帰り道は釈然としない気持ちと怒りとを抱え濡れながら帰宅した。

気分の変化は突然に

イライラしながらも家に帰るとまず真っ先に自宅の傘立てが目に入る。
「傘立てを見るだけでも不快になるのに勘弁してくれ」と思ったが、ふと長年自分が気に入っていた傘が目に入ると自ずと「お気に入りの傘を持っていかなくてよかった」という思いが沸き上がった。
実は家を出る前にビニール傘を持っていこうか、それともお気に入りの傘を持っていこうか迷っていたが、結局ビニール傘を持っていくことにした。

そんなこともあってか、なおのこと盗られた怒りよりもお気に入りの傘を盗られなかった安堵感の方が勝った。

とらえ方次第で気分が変わるのであれば…

どうせとらえ方次第で気分や機嫌が変わってしまうのであれば、ついてないことや不運があっても気分よく機嫌よくいられるように解釈を変えてしまえばいい。
ついてないことや不運があったときに気分が悪かったり機嫌が悪かったりすると、往々にしてさらに悪いことが起こってそれこそ「泣きっ面に蜂」なんて事態になりかねない。

たとえ数分とはいえ「盗られたくなければ自分のものは目の届くところに肌身離さず持っておかなければならない」という教訓になったそんなお話。
あと盗られたとわかったときの釈然としなかった気持ちはこうしてネタとして供養しよう。

くれぐれもお気をつけください。

っていうか「見られていなければバレなければ他人のものを盗ってもいい」だなんて荒んでんなぁ…

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